090219
夜から勉強会(MYshelf)メンバーと08年度の締めの飲み会があった。
ゲストとしてデザイン戦略系のA氏や今年のQREP(シリコンバレーでの起業家精神養成プログラム)に参加するB氏、環境系サークルのC氏などにもお越しいただき、大変愉快な飲み会となった。
いろいろ楽しくお話したが、特に印象に残ったのはD氏のユーラシア大陸横断の話。以前も聞いたのだが、何度聞いてもすごい話である。中国西チベットでは遭難した挙句野犬に襲われ、インドではスリに会って一文無しになり、パキスタンでは鈍器で殴られ身ぐるみをはがされている。私もいずれユーラシア大陸を横断しようと思っているが、このような旅は正直ごめん被りたい。
インドとパキスタンで2度、現地の人にお金を借りて日本までのチケットを買っているが、そのお金をわざわざ返しに戻っているなど、律儀なところが格好いい。また本人は「帰りのチケット買ってないなんて、計画性がないだけだよ」と言っていたが、そんな状況でカシミールなどの危険地域に足を踏み込む勇気はすごい。
真似する必要などないのだが、直接話を聞くと、これは真似できない、やっぱりすごいな、と思った。私も他人からそのように言われる経験の一つや二つ、欲しいものだ。
2009年2月21日土曜日
愛国心とナショナリズム
090218
昼からは友人Aとの食事があった。
彼は12月ごろから企業取材サークル(勉強会の色合いが強い)で活動していて、最近は歴史や古典、日本の偉人達に非常に興味があるようだ。曰く、日本には、渋沢栄一や東郷平八郎などの尊敬すべき人物がたくさんいる。日本人は歴史を学び、自国に誇りを持つべきだと主張する。
私も日本が好きだし、その意見には同意するのだが、日本の歴史については近隣諸国との微妙があり、難しい。歴史を学ぶ意義については別エントリーで書くとして、今回は愛国心とナショナリズムについて少しだけ述べる。
個人的に、愛国心は非常に大切なものだと思う。その理由は、
①利己的にならず、少なくとも自国の国家という公共の利益を考えることが出来るようになる
②自分だけでなく、国家のためを思うことでモチベーションの向上に繋がる
③自分のバックグラウンドに誇りを持つことで、相手の国も正当に評価できるようになる
である。
第二次大戦の影響などにより、近年は愛国心を持ちにくくなった反面、個人主義が台頭している。個人主義も結構なのだが、自分の事にしか興味を示さない狭い人も増えているのではないかと懸念する。愛国心があると、少なくとも自国の福祉については興味の対象になってくるので、自分にしか興味のない人に比べて公共のために行動する可能性は高くなる。
また、最近はBRICsなど、新興国の発展が目覚しい。彼らのハングリー精神にはすさまじいものがあり、既に豊かになってしまった私達日本人はハングリーさでは決して勝てない。私達のような先進国の者にとってモチベーションを与えうるのは、ざっくり分けると興味(楽しさ)とプライドだと思う。愛国心はそのプライドを刺激してくれる。私達のハングリー精神が、新興国の猛烈な上昇志向に敵わなくても、プライドや自国に対する誇りによってそれを補強できると考える。
しかし、愛国心は時に偏狭になり、第二次大戦時のナチス、大日本帝国のようになりかねない。様々な要因が絡んでくるため、この2つを必ずしも悪いとは断言しないが、この偏狭なナショナリズムは他国に害を与え、巡りめぐって自国にも弊害をもたらす。何より、21世紀となった今、この時代に合わなくなってきており、そのような偏狭な考えの持ち主は国際社会から干されてしまうだろう。
愛国心を持つ際には、必ず相手国の理解、尊敬が必要である。そうすることで、他国からも尊敬されるようにもなるし、また他国に対しても公共の精神が目覚め、より広い視野を持つことが可能となるだろう。
世界のマーケットは広がっており、もはや1億2千万の自国だけを見つめる狭い視野ではこの先やっていけない。その意味でも、日本人がこの先も国際競争力を持ち、新興国に対抗していく上で必要なのは、偏狭ではない愛国心だと思う。
昼からは友人Aとの食事があった。
彼は12月ごろから企業取材サークル(勉強会の色合いが強い)で活動していて、最近は歴史や古典、日本の偉人達に非常に興味があるようだ。曰く、日本には、渋沢栄一や東郷平八郎などの尊敬すべき人物がたくさんいる。日本人は歴史を学び、自国に誇りを持つべきだと主張する。
私も日本が好きだし、その意見には同意するのだが、日本の歴史については近隣諸国との微妙があり、難しい。歴史を学ぶ意義については別エントリーで書くとして、今回は愛国心とナショナリズムについて少しだけ述べる。
個人的に、愛国心は非常に大切なものだと思う。その理由は、
①利己的にならず、少なくとも自国の国家という公共の利益を考えることが出来るようになる
②自分だけでなく、国家のためを思うことでモチベーションの向上に繋がる
③自分のバックグラウンドに誇りを持つことで、相手の国も正当に評価できるようになる
である。
第二次大戦の影響などにより、近年は愛国心を持ちにくくなった反面、個人主義が台頭している。個人主義も結構なのだが、自分の事にしか興味を示さない狭い人も増えているのではないかと懸念する。愛国心があると、少なくとも自国の福祉については興味の対象になってくるので、自分にしか興味のない人に比べて公共のために行動する可能性は高くなる。
また、最近はBRICsなど、新興国の発展が目覚しい。彼らのハングリー精神にはすさまじいものがあり、既に豊かになってしまった私達日本人はハングリーさでは決して勝てない。私達のような先進国の者にとってモチベーションを与えうるのは、ざっくり分けると興味(楽しさ)とプライドだと思う。愛国心はそのプライドを刺激してくれる。私達のハングリー精神が、新興国の猛烈な上昇志向に敵わなくても、プライドや自国に対する誇りによってそれを補強できると考える。
しかし、愛国心は時に偏狭になり、第二次大戦時のナチス、大日本帝国のようになりかねない。様々な要因が絡んでくるため、この2つを必ずしも悪いとは断言しないが、この偏狭なナショナリズムは他国に害を与え、巡りめぐって自国にも弊害をもたらす。何より、21世紀となった今、この時代に合わなくなってきており、そのような偏狭な考えの持ち主は国際社会から干されてしまうだろう。
愛国心を持つ際には、必ず相手国の理解、尊敬が必要である。そうすることで、他国からも尊敬されるようにもなるし、また他国に対しても公共の精神が目覚め、より広い視野を持つことが可能となるだろう。
世界のマーケットは広がっており、もはや1億2千万の自国だけを見つめる狭い視野ではこの先やっていけない。その意味でも、日本人がこの先も国際競争力を持ち、新興国に対抗していく上で必要なのは、偏狭ではない愛国心だと思う。
後輩との会話
090217
今日は半年お世話になった学術研究員のA氏の送別会が研究室にてあった。同じく学術研究員のB氏によって自慢の中華料理9品が振舞われ、20名超の人が集まって、非常に愉快な会であった。
その会では何を話したか、もう覚えていない。終了後、私と同輩、3人の後輩が部屋に残って話をした。
話題は自然と、3年生がこの時期最も気になる就職活動になった。行きたいところは皆業種も業界も別々だったが、全員に共通して「いずれ農業に携わりたい」と言ったのには驚いた。というのも、私達のような農学部の学生は農業関連産業以外の職に就く者も多く、私や友人などは特に農業へのこだわりはないからだ。農家の平均年齢が約60歳、就農人口は一桁と、若者の農業離れが進んでいる中で、この様な人達が身近にいるのは面白い。農学部だから本来当然なのかもしれないが、学部時代の研究対象あるいは訓練としかみなしていない人も結構いる。
その後農業の話題になり、その他の社会問題に移り、約4時間に渡って議論した。このように議論するのは結構珍しく、後輩はこのような議論の場がもっと欲しいと言っていた。時間ならたっぷりある私達は、場所と議題さえ用意すればいつでもできるが、残念ながらあまり議論をする風潮というのはない。議論など強制されてするものではないが、大学側はこれに問題意識を持って、もっと議論を促すような策をとったほうがよいのかもしれない。
ともあれ、非常に楽しい時間が過ごせた。同輩Cの地に足ついた意見も参考になったし、後輩Dの、大好きなリゾートホテルについての話も面白かった。議論の切り口を整理することはまだまだ出来ていないと感じるが、いろいろな人の、自分とは違った視点からの意見を聞けるのは楽しい。
今日は半年お世話になった学術研究員のA氏の送別会が研究室にてあった。同じく学術研究員のB氏によって自慢の中華料理9品が振舞われ、20名超の人が集まって、非常に愉快な会であった。
その会では何を話したか、もう覚えていない。終了後、私と同輩、3人の後輩が部屋に残って話をした。
話題は自然と、3年生がこの時期最も気になる就職活動になった。行きたいところは皆業種も業界も別々だったが、全員に共通して「いずれ農業に携わりたい」と言ったのには驚いた。というのも、私達のような農学部の学生は農業関連産業以外の職に就く者も多く、私や友人などは特に農業へのこだわりはないからだ。農家の平均年齢が約60歳、就農人口は一桁と、若者の農業離れが進んでいる中で、この様な人達が身近にいるのは面白い。農学部だから本来当然なのかもしれないが、学部時代の研究対象あるいは訓練としかみなしていない人も結構いる。
その後農業の話題になり、その他の社会問題に移り、約4時間に渡って議論した。このように議論するのは結構珍しく、後輩はこのような議論の場がもっと欲しいと言っていた。時間ならたっぷりある私達は、場所と議題さえ用意すればいつでもできるが、残念ながらあまり議論をする風潮というのはない。議論など強制されてするものではないが、大学側はこれに問題意識を持って、もっと議論を促すような策をとったほうがよいのかもしれない。
ともあれ、非常に楽しい時間が過ごせた。同輩Cの地に足ついた意見も参考になったし、後輩Dの、大好きなリゾートホテルについての話も面白かった。議論の切り口を整理することはまだまだ出来ていないと感じるが、いろいろな人の、自分とは違った視点からの意見を聞けるのは楽しい。
勉強会(MYshelf)でのスピーチの後で
090216
今日は自分たちでやっている勉強会グループでのスピーチがあった。
このグループは4月に友人を集めて作ったもので、途中行き詰ったりもしたものの、手探りで進めながらここまで続けられた。私の住む福岡にも、様々な勉強会があることと思うが、レベルはどうあれ自分の手で初め、1年間継続してこれたのは評価できると思う。もちろん改善の余地はたくさんあるが。
今回は、①オバマのスピーチ術を盗むこと、②今年度の活動の一旦の区切りとすることからこれを行った。スピーチのトピックスは、「一年間の活動とこれからの自分」について。ルールは、3点列挙や対象法などの修辞法を使うこと。
アメリカとは違って、日本の学校ではスピーチ術や修辞法などを習う機会はないし、私たちも特に個人的に勉強していたわけではないので貴重な機会だった。
全員のスピーチの後、いろいろコメントをいただいた。
文豪(予定)のA氏からは、「いろいろなことに興味があるのは素晴らしいが、行動が分散すると一つ一つのクオリティが下がる。責任を持って、取り組むことにはコミットしなさい」とのコメントをいただき、日本をぶっ壊す(仮)B氏からは「人の意見を初めから否定せず、オープンに受け入れられるところは大変いい。あとは誠実さが足りないから、身の回りの友人をもっと大切にしなさい」とお叱りを受けた。
このように厳しい意見を言ってくれる友人は非常に貴重だ。このような人たちと出会えたことを本当にうれしく思う。
今日は自分たちでやっている勉強会グループでのスピーチがあった。
このグループは4月に友人を集めて作ったもので、途中行き詰ったりもしたものの、手探りで進めながらここまで続けられた。私の住む福岡にも、様々な勉強会があることと思うが、レベルはどうあれ自分の手で初め、1年間継続してこれたのは評価できると思う。もちろん改善の余地はたくさんあるが。
今回は、①オバマのスピーチ術を盗むこと、②今年度の活動の一旦の区切りとすることからこれを行った。スピーチのトピックスは、「一年間の活動とこれからの自分」について。ルールは、3点列挙や対象法などの修辞法を使うこと。
アメリカとは違って、日本の学校ではスピーチ術や修辞法などを習う機会はないし、私たちも特に個人的に勉強していたわけではないので貴重な機会だった。
全員のスピーチの後、いろいろコメントをいただいた。
文豪(予定)のA氏からは、「いろいろなことに興味があるのは素晴らしいが、行動が分散すると一つ一つのクオリティが下がる。責任を持って、取り組むことにはコミットしなさい」とのコメントをいただき、日本をぶっ壊す(仮)B氏からは「人の意見を初めから否定せず、オープンに受け入れられるところは大変いい。あとは誠実さが足りないから、身の回りの友人をもっと大切にしなさい」とお叱りを受けた。
このように厳しい意見を言ってくれる友人は非常に貴重だ。このような人たちと出会えたことを本当にうれしく思う。
2009年2月16日月曜日
QREPⅢ(ごく一部)飲み@友人宅
090215
夜は友人宅にて飲みがあった。参加したのは教育に熱いA氏とお宅とお食事を提供してくれたB氏、私の3名。途中から親分C氏が参加。
メンバーが全員教育に興味があるのもあり、自然と話題はそちらの方へ。A氏は学生のころより教育、勉強の意味についてずっと考えており、現在教えている塾生にはより長期的な視点に立って物事を考えられるように指導しているとの事。「長期的な視点に立つ」とは、ここでは「普遍原理を身につける」といったところか。具体的には、勉強そのもの(=教科)が将来役に立つかは分からないが、受験勉強などを通して得られる問題解決力や自己管理能力はどこに行っても役に立つ、として生徒をモチベートするという。
また、ゆとり教育についても話が出た。A氏およびB氏によれば、創造的なことをするには自由な時間が必要で、ゆとり教育によって時間を確保すること自体は問題がなかったという。ただ、無気力な者や目的が無い者に時間を与えても意味が薄く、ゆとり教育を実践するならば生徒をモチベートし、積極的な状態にすることが必要だった。
鍵となってくる「モチベーション」だが、どのようにすれば生徒はやる気になるのだろうか?モチベーションのきっかけになる要素をざっくり言うと「利益」と「楽しさ」である。
利益について言えば、将来の賃金や社会的地位などがすぐ連想するものだが、学校の勉強との直接的な繋がりが不鮮明なため、生徒は力を注ぎにくいといった一面もあると思う。これに関しては教師が論理的あるいは情緒的に訴えて生徒を動かしていくのがよいのだろうが、現状ただ「やれ」というだけで、あまり効果的な事はしていない印象がある。また日本では社会システムが発達しているため、あまり頑張らなくても生きていけるというのも大きい。
楽しさについては・・・、とここまで書いたが、長くなるのでまたこれは今度。
日記に話を戻す。
飲みも終わって帰るころに、B氏が原丈人さんの話をし始めた。昨年10月、私もB氏もカンファレンスに参加させていただいたが、B氏はいまだにメールをたまに交換するらしい。C氏などもセミナー、カンファレンスなどでお会いした方々と親交を保っているのに、私はそのように関係が保たれている方はいない。筆不精や文才の無さが原因だと思うが、これは大変むなしい。
最後は愚痴っぽくなってしまったが、忘れないようにとの思いをこめて、ここに書いておくことにする。
夜は友人宅にて飲みがあった。参加したのは教育に熱いA氏とお宅とお食事を提供してくれたB氏、私の3名。途中から親分C氏が参加。
メンバーが全員教育に興味があるのもあり、自然と話題はそちらの方へ。A氏は学生のころより教育、勉強の意味についてずっと考えており、現在教えている塾生にはより長期的な視点に立って物事を考えられるように指導しているとの事。「長期的な視点に立つ」とは、ここでは「普遍原理を身につける」といったところか。具体的には、勉強そのもの(=教科)が将来役に立つかは分からないが、受験勉強などを通して得られる問題解決力や自己管理能力はどこに行っても役に立つ、として生徒をモチベートするという。
また、ゆとり教育についても話が出た。A氏およびB氏によれば、創造的なことをするには自由な時間が必要で、ゆとり教育によって時間を確保すること自体は問題がなかったという。ただ、無気力な者や目的が無い者に時間を与えても意味が薄く、ゆとり教育を実践するならば生徒をモチベートし、積極的な状態にすることが必要だった。
鍵となってくる「モチベーション」だが、どのようにすれば生徒はやる気になるのだろうか?モチベーションのきっかけになる要素をざっくり言うと「利益」と「楽しさ」である。
利益について言えば、将来の賃金や社会的地位などがすぐ連想するものだが、学校の勉強との直接的な繋がりが不鮮明なため、生徒は力を注ぎにくいといった一面もあると思う。これに関しては教師が論理的あるいは情緒的に訴えて生徒を動かしていくのがよいのだろうが、現状ただ「やれ」というだけで、あまり効果的な事はしていない印象がある。また日本では社会システムが発達しているため、あまり頑張らなくても生きていけるというのも大きい。
楽しさについては・・・、とここまで書いたが、長くなるのでまたこれは今度。
日記に話を戻す。
飲みも終わって帰るころに、B氏が原丈人さんの話をし始めた。昨年10月、私もB氏もカンファレンスに参加させていただいたが、B氏はいまだにメールをたまに交換するらしい。C氏などもセミナー、カンファレンスなどでお会いした方々と親交を保っているのに、私はそのように関係が保たれている方はいない。筆不精や文才の無さが原因だと思うが、これは大変むなしい。
最後は愚痴っぽくなってしまったが、忘れないようにとの思いをこめて、ここに書いておくことにする。
アイデアラボ09感想
090215
本日は大学内企画「アイデアラボ」があった。
アイデアラボは去年度末に企画させていただいたものだが、今年は純粋に参加者として赴いた。今回は内容、着目点などが明確で、進行もスムーズ、なかなかよい企画だったと思う。
ただし、去年もそうだったが、1度きりでは体験にしかならず、定着はしない。やはりやるからには、その後実際に使用できるようなスキルの定着を目指したいところである。もし来年度も行うのならば、半期で15回、演習のようにしてやるのが望ましいと、個人的に思った。
集客に関しては多少不満が残る。しかし、これは企画側の広報が弱かったという面もあるが、この大学の学生がさまざまな活動に対して消極的になっているのではないか、という懸念が大きい。実際、起業家セミナーなどの講義やシリコンバレーツアー、交換留学の参加者、応募者は年々減ってきているという。ポスターやメールマガジンなどの情報に気付いていない人も多いらしく、感度の低さも感じられる。
関東の学生、あるいは中印などアジアの学生が積極的に活動している中で、大変危機感を覚える。企画者の立場に立つと、強力なプル広報をする必要があるため鍛えられる、とも言えるが。
積極性や広報については長くなるので、また別エントリーにて述べることにする。
さて、アイデアラボのテーマである、「発散的思考法」。簡単に言えば、いきなり物事を決めてかからずに、まずはたくさんの考えを出しておもしろいアイデアが出る確率を上げる、といったところである。ブレインストーミングなどが代表的だが、今日の企画を通じてただ思いつくままに意見を出せばよいというわけではない、ということを改めて感じた。
というのも、切り口やMECEなどを意識しないと、話し合うべき余地が残っていることに気付かず、テーマ中の一部分で話を続けていることがあるからだ。つまり、漏れがあってもったいない。
ただし、このようなファシリテーションを気にしていると、面白いアイデアが出るのが滞る可能性があるので、当然ながらこの役は誰か一人だけがやるべきだ。
ともあれ、自由に発想することが重要な「発散的思考法」に、以外にも論理思考のフレームワークが効果的であるかもしれない、というのが今日の発見だ。
また、会の最後の発表を見ていて思ったのが、やはり勢い(=ノリ)は重要ということである。内容はともあれ、楽しい場や雰囲気を提供することはそれだけで意味がある。共演者の呼吸や会場の反応を見て、テンポ良く会話をつなげていく参加者を見てそう感じた。
本日は大学内企画「アイデアラボ」があった。
アイデアラボは去年度末に企画させていただいたものだが、今年は純粋に参加者として赴いた。今回は内容、着目点などが明確で、進行もスムーズ、なかなかよい企画だったと思う。
ただし、去年もそうだったが、1度きりでは体験にしかならず、定着はしない。やはりやるからには、その後実際に使用できるようなスキルの定着を目指したいところである。もし来年度も行うのならば、半期で15回、演習のようにしてやるのが望ましいと、個人的に思った。
集客に関しては多少不満が残る。しかし、これは企画側の広報が弱かったという面もあるが、この大学の学生がさまざまな活動に対して消極的になっているのではないか、という懸念が大きい。実際、起業家セミナーなどの講義やシリコンバレーツアー、交換留学の参加者、応募者は年々減ってきているという。ポスターやメールマガジンなどの情報に気付いていない人も多いらしく、感度の低さも感じられる。
関東の学生、あるいは中印などアジアの学生が積極的に活動している中で、大変危機感を覚える。企画者の立場に立つと、強力なプル広報をする必要があるため鍛えられる、とも言えるが。
積極性や広報については長くなるので、また別エントリーにて述べることにする。
さて、アイデアラボのテーマである、「発散的思考法」。簡単に言えば、いきなり物事を決めてかからずに、まずはたくさんの考えを出しておもしろいアイデアが出る確率を上げる、といったところである。ブレインストーミングなどが代表的だが、今日の企画を通じてただ思いつくままに意見を出せばよいというわけではない、ということを改めて感じた。
というのも、切り口やMECEなどを意識しないと、話し合うべき余地が残っていることに気付かず、テーマ中の一部分で話を続けていることがあるからだ。つまり、漏れがあってもったいない。
ただし、このようなファシリテーションを気にしていると、面白いアイデアが出るのが滞る可能性があるので、当然ながらこの役は誰か一人だけがやるべきだ。
ともあれ、自由に発想することが重要な「発散的思考法」に、以外にも論理思考のフレームワークが効果的であるかもしれない、というのが今日の発見だ。
また、会の最後の発表を見ていて思ったのが、やはり勢い(=ノリ)は重要ということである。内容はともあれ、楽しい場や雰囲気を提供することはそれだけで意味がある。共演者の呼吸や会場の反応を見て、テンポ良く会話をつなげていく参加者を見てそう感じた。
2009年2月15日日曜日
やりたいこととは
090214
今日は後輩のOB訪問に付き合わせていただいた。途中でやめたとはいえ、久しぶりの就活の会話はなんだか懐かしい。「社会人になって何がやりたい?」「どんな職場がいい?」といったものだ。
「何がやりたいか。」
私もずっと考えてはいるが、なかなか具体的な答えは出ない。昨年3月、シリコンバレーに行くプログラムに応募したときに言ったのが、「日本をもっと強く、格好良く、楽しい国にしたい」というものだが、なんとも抽象的である。
そのプログラムにて、シリコンバレーの共通精神"Change the world a better place"(Steven Jobs)に出会って感動し、「日本だけとはなんとも狭い、私も世界をよくしよう」という壮大な目標(?)を立てたが、抽象度は変わっておらず、何をすればよいのか定まっていない。
「とりあえず専門性を身につけろ」と盛んに言われたので、修士を通して農業経済と水資源に関してプロフェッショナルになる予定だが、これが将来の仕事と関連するかはまだ分からない。
(専門に関しては別エントリーにて述べる予定)
将来することを明確に決められないのは、私が優柔不断だからだ、と思っていたが、今週火曜日にあった大学OBの方に頂いた言葉が印象的だ:
「やりたいことは分からなくていい。今はやるべきことをやるべきだ。」
曰く、私たちの短い人生経験では、やりたいことが分からないなどざらである。また、やりたいことというのは楽しく語るべきだ。それなのに、就職活動でやりたいことを無理やり考えてしまうと、それを考え出すのが苦痛になったり、本当にやりたいことか分からないのにその言葉に振り回されたりしてしまう。
この言葉にはすごくありがたかった。やりたいことを探しているといたずらに時が過ぎてしまうが、結局それは見つからないことが多い。もちろん、孫正義氏のように人生プランを立てておくに越したことは無いのだが、ある程度考えて分からない以上、行動に移った方がよい。高いところに上らなければ、見えない景色もある、というものである。
私にとってやるべきこととは。誰にも負けない専門性を身につけること。
今日は後輩のOB訪問に付き合わせていただいた。途中でやめたとはいえ、久しぶりの就活の会話はなんだか懐かしい。「社会人になって何がやりたい?」「どんな職場がいい?」といったものだ。
「何がやりたいか。」
私もずっと考えてはいるが、なかなか具体的な答えは出ない。昨年3月、シリコンバレーに行くプログラムに応募したときに言ったのが、「日本をもっと強く、格好良く、楽しい国にしたい」というものだが、なんとも抽象的である。
そのプログラムにて、シリコンバレーの共通精神"Change the world a better place"(Steven Jobs)に出会って感動し、「日本だけとはなんとも狭い、私も世界をよくしよう」という壮大な目標(?)を立てたが、抽象度は変わっておらず、何をすればよいのか定まっていない。
「とりあえず専門性を身につけろ」と盛んに言われたので、修士を通して農業経済と水資源に関してプロフェッショナルになる予定だが、これが将来の仕事と関連するかはまだ分からない。
(専門に関しては別エントリーにて述べる予定)
将来することを明確に決められないのは、私が優柔不断だからだ、と思っていたが、今週火曜日にあった大学OBの方に頂いた言葉が印象的だ:
「やりたいことは分からなくていい。今はやるべきことをやるべきだ。」
曰く、私たちの短い人生経験では、やりたいことが分からないなどざらである。また、やりたいことというのは楽しく語るべきだ。それなのに、就職活動でやりたいことを無理やり考えてしまうと、それを考え出すのが苦痛になったり、本当にやりたいことか分からないのにその言葉に振り回されたりしてしまう。
この言葉にはすごくありがたかった。やりたいことを探しているといたずらに時が過ぎてしまうが、結局それは見つからないことが多い。もちろん、孫正義氏のように人生プランを立てておくに越したことは無いのだが、ある程度考えて分からない以上、行動に移った方がよい。高いところに上らなければ、見えない景色もある、というものである。
私にとってやるべきこととは。誰にも負けない専門性を身につけること。
初稿
ブログを始めなさい!―
思えば、しきりにそう勧められたのが1年前。勧めたのはシリコン・バレーの方だったか、newsingの方だったか、今ではもう忘れてしまった。
何を書けばよいのかよく分からなかったがとりあえずアカウントだけ取り、3度ほどエントリーを書いたもののそのまま放置した。さらに1ヶ月に最低1回は書いていたmixiの日記もなぜか書かなくなった。
現在、また新たにブログを書こうとしている。これはおそらく、大前研一氏の「知の衰退からいかに脱出するか?」の影響だと思われる。
以前より「自分の考えをまとめられているのだろうか」という懸念はあったが、改めて「自分の頭で考えられているのか」と問われると、結構怪しい。秋ごろに「知的生産の技術」などを読んだが、結局実践できていないこともあり、今度こそは、と挑戦する次第である。
また、なんとなくこのごろ自分の考えというものが形成されてきた(全くまとまってはいないが)という淡い期待から、書く内容が出てきた、という点も大きい。
ともかく、始めは稚拙な文章が続くであろうが、そこは目をつむって、きちんと自分の考えが述べられるよう、日々時間を割いて思考を整理していこうと思う。
思えば、しきりにそう勧められたのが1年前。勧めたのはシリコン・バレーの方だったか、newsingの方だったか、今ではもう忘れてしまった。
何を書けばよいのかよく分からなかったがとりあえずアカウントだけ取り、3度ほどエントリーを書いたもののそのまま放置した。さらに1ヶ月に最低1回は書いていたmixiの日記もなぜか書かなくなった。
現在、また新たにブログを書こうとしている。これはおそらく、大前研一氏の「知の衰退からいかに脱出するか?」の影響だと思われる。
以前より「自分の考えをまとめられているのだろうか」という懸念はあったが、改めて「自分の頭で考えられているのか」と問われると、結構怪しい。秋ごろに「知的生産の技術」などを読んだが、結局実践できていないこともあり、今度こそは、と挑戦する次第である。
また、なんとなくこのごろ自分の考えというものが形成されてきた(全くまとまってはいないが)という淡い期待から、書く内容が出てきた、という点も大きい。
ともかく、始めは稚拙な文章が続くであろうが、そこは目をつむって、きちんと自分の考えが述べられるよう、日々時間を割いて思考を整理していこうと思う。
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