2009年3月19日木曜日

中国旅行記①~上海到着~

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窓の外を見ると陸地が見える。土地は広大で地平線が眼前に広がり、「あぁ、大陸に来たのだな」と実感する。隣では中国国際航空の搭乗員らしき人が5~6部の新聞を読み漁っている。私は旅行ガイドに目を戻し、上海での行動プランを考え始めた。

今回中国に行くきっかけとなったのは、2008年10月に行われた農業経済系のシンポジウムで中国人民大学の学生たちと仲良くなったことだ。私達はシンポジウムの後、農場や阿蘇山を共に訪れ、バスの中、夜の宿で語り合った。中国で会うことを約束した半年後の今、初めて中国本土の土を踏むことになる。
















上海浦東国際空港に到着する。いつもの旅よりちょっと気分が高揚していたのは、初めての一人旅だったからだろうか。想像していた不安感に襲われることなく、この旅のスタートを切った。
今回の旅順は上海、南京、杭州と長江デルタを列車で回って上海に戻り、北京へ飛ぶといったものだ。南京行きを翌日に控えていたため、乗車券を買いに上海駅まで移動する。時刻は午後5時前。ちなみに北京行きの航空券もこの日に手配する予定だったのだが、予想より時間がなかったため翌日に回すことに。

バスを待っていると、タクシーの運転手が中国語で話しかけてくる。その場にいたカップルと私と3人で相乗りして、一人50元(=750円程度)と言ってくる。市街地までの距離約60km、空港バスを利用して22元だったので利用してもよかったのだが、楽すぎて嫌だったのでお断りしてバスを待つ。
そのカップルも結局バスに乗ることにしたので、そちらに一緒に乗ることに。彼らは大分から来ていて、男性の方(Aさん)は中国人、女性の方(Bさん)は留学生がキャンパスの半分を占める某大学の2年生だった。ちなみにカップルではないらしく、Aさんの姉が上海にいるのにかこつけて来ていた。Aさんは上海の人ではなかったので地理には疎いようだったが、中国語が出来るので私も街まで案内してもらった。

2人はバスを途中で降り、私は終点の上海駅まで行った。夜7時。駅内外は人ごみでごった返していた。私はインド・デリーでの光景を思い出したが、あの圧倒的な騒々しさと比べると落ち着いていて施設もきれいだと感じた。出稼ぎらしき人もたくさんいて、現代中国らしい。
南京行きの列車を予約した。価格は確か100元程度だった。この日のミッションは終わったので、予約していた人民広場近くのユース・ホステルを目指す。人民広場までは地下鉄一本で行けたものの、地図を印刷し忘れていたためそこからどう行けばいいか分からない。午後9時。結局その場からタクシーに乗り、宿の人に電話で道を教えてもらいながらやっとのことで到着した。
















宿は男女混合の4人部屋で、その日は私以外にはアメリカ人のR氏が泊まっていた。彼はロサンジェルスにすむ楽器の商人で、以前はジャズでサックスのプレイヤーだった。両親が亡くなったのを転機に起業(?)し、E-bayを通じてサックスを売り、最近は天津、上海を拠点にして事業を展開していると言う。いずれは天津に工場を、上海に事務所を開く予定で、今回はそのビジネスの準備と旅行も兼ねて訪れている。私と同じくらいの年の息子がおり、彼はUCLAの生物学科を今年卒業している。
R氏とは、人生観や彼のビジネスの話、アメリカの問題点、中国のこと、旅行のことなどを2時間ほど話し、だいぶ仲良くなれた。
















その後、私は夕食を取りに外出。午後11時。上海は夜一人で歩いても大丈夫なくらい治安がいい。道端には結構ゴミが多く、先進都市上海のイメージと異なっていた。雲南路というレストラン通りを歩くが、閉まっているところが多く、とりあえず空いていたお店に入る。小さくてちょっと汚いお店だったが、おじさんだけでなく若い女性も数人居た。















食事が終わって宿に戻ると、R氏は既に寝息を立てていた。明日の予定は特に立てていなかったが、体力だけは万全にしておこうとシャワーを浴びてそのまま床に就いた。

2009年3月15日日曜日

アジア塾 東アジアのビジネス連携と人材育成

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この日は「東アジアのビジネス連携と人材育成」というシンポジウムに参加した:http://asia.kyushu-u.ac.jp/home/ajiajuku/kiroku/20/2/guide.pdf
もう半月も前のことで記憶もあいまいなので短めのログにする。

この会に参加したのは、自分自身が「アジアの“人材”」になるヒントを見つけるためである。“人材”というのは私の中ではリーダーあるいはプロフェッショナルを指している。別に限定しなくてもよかったのだが、これから人口減に伴い市場が縮小する日本にとって、「アジア」というのは非常に重要なパートナーであり、そのフィールドで活躍できる者は非常に価値があると思ったのだ。

その会では、期待される人材として以下の6つが挙げられた。
①海外に発信できる人材
②国内と海外間を取り持ち、調整できる人材
③アジアが抱える課題を解決できる人材
④アジア各地域・各都市間連携や交流を担える人
⑤国際的プロジェクトをまとめる人材
⑥地元の経済活性化のために企画立案ができる人材
⑦海外人材と幅広い人的ネットワーク構築ができる人材
⑧海外の高級人材

抽象度が高く、イメージしにくい目標だが、③、⑥などから、問題解決能力やリーダーシップを養う必要があるとわかる。また②、④、⑦などから、高い事務処理能力やイノベーション以外にも、人間関係を円滑に進めることができる人が求められているのが見て取れる。

ではどうすればそのような人材を育成できる(そのような人材になれる)のか。この会では4つの場を提案していた。
①高度ビジネス実務教育機関
②外国語(英語、アジア言語)のできる地域人材養成機関
③海外事業の実務を担当する人材の教育
④海外留学研修生と国内人材が一緒に学ぶ人材教育・研修の場

外国語の勉強と留学生との交流ならやっているが、実務などは個人レベルでは難しい。自分で立ち上げれば別だが。何かのプロジェクトを探して、積極的に参加するのがよいのだろうか。
実例で面白かったのは、台湾貿易センターの海外インターンシップだ。通常は語学研修やビジネスの理論を学習しているが、定期的に東京や福岡の商社などに送り出し、実務も経験させる。自然科学系の人間であれば実験を繰り返すのが一番の訓練になりうると思うが、将来ビジネスを志す者はやはり実践に学ばなければならないということか。

自分にとっての次の手が見えなかったので若干消化不良ぎみだったが、漠然とした方向性と元気はいただけた。そしてこの翌々日には中国に旅行することになっていたのだが、現地でいろいろ考察する際のヒントにもなっていったのだ。

突き抜けろ!

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20日にはバングラデシュのシンポジウムがあったが、そのシンポジウムに負けず劣らず面白い人がいた。彼(Aくんとする)は某W大学の学生で、このシンポジウムの前から友人だったが直接あってまともに話すのは初めてだった。
私は大学のプログラム(QREP)でシリコンバレーに行ったときに、教育に強い問題意識を持つW大の別の学生Bさんと友人になっていた。その後、彼女が教育関係の事業を試みるときにAくんとチームを組んで活動しており、ブログで彼のことを知った。10月に原丈人氏のWorld Aliance Forumに参加させていただいた折に一度会ったが、Aくんとは挨拶程度で特に話もしなかった。
12月、ほぼ他人の状態だったのにも関わらず、突然Aくんから電話が。インドのコルカタからバングラデシュに入国する方法を教えてくれと言う。なんでも、正月早々インド・バングラデシュに飛ぶらしい。その活動力に少々驚きながら、何度か電話を繰り返し親交を深めた。

そのAくんがその日、福岡にある私の大学まで来ていた。聞いてみると、「1ヶ月グラミン銀行の調査に同行したから、シンポジウム中に挨拶がある」らしい。私もグラミン銀行を訪れたことはあるが、そのときは案内してもらっただけだった。ちなみにもともと彼はグラミン銀行とは何の関係もない。私の大学にグラミン系列の教員がいるのをインターネットで嗅ぎ付け、強引に交渉して今回の調査にも同行させてもらったらしい。全く、その突破力には恐れ入る。
彼がグラミン銀行に興味を持ったのは、ソーシャル・ビジネスに強い関心を持ったのがきっかけだ。彼は大学1年生のときにケニアに1ヶ月行ってボランティアをしたのだが、そのとき仲良くなった子供たちが2007年の食料高騰を主な原因とする暴動で亡くなる、という経験をしている。いわば貧困に殺されたわけだ。その後、「貧困のない世界を創る」というのを標榜に掲げるグラミン銀行を知り、積極的に関与しているというところだ。

今回Aくんが同行したのはOVOP(One Village One Portal、一品一村運動と似ているが違う)という、一つの村ごとにひとつのウェブページを作るサービスの予備調査である。このページが出来ることによって新しい社会構造基盤(参考:http://pilotmizusaki.blogspot.com/2009/03/blog-post.html)が構築され、例えば新しい取引が生まれたり、国勢調査にかかるコストが大幅に削減されたり、という効果が予想されている。まだまだ走り始めたばかりのプロジェクトだが、先進国にはないサービスで、貧困層をどう変えていけるのか大変興味深い。
彼は単身そのプロジェクトに乗り込んだが、インフラの行き届かない農村での慣れない生活や、初めてするのことばかりの業務など、かなりきつかったはずだ。実際彼はその1ヶ月で5kgほど痩せたらしい。しかし、天性の明るさで乗り切り、調査手法やマーケティング技術などを学び、後に合流した他の日本人チームの先頭に立って働いた。彼の言葉を借りると、「ひたすら、がむしゃらに」働いた。

彼はまだ2年生だし、正直専門性や強みといったものはまだ持っていない。しかし、行動力と覚悟によって新しい世界をどんどんと切り拓き、今回のプロジェクトでも十分活躍することが出来た。次は一年休学して、本格的にOVOPの日本人リーダーになるのだという。一度目標を持ったらとことん、突き抜けることが重要なのだ。
ホンモノとはこういうやつのことかなと、友人になれた事をうれしく思う一方、私自身も本物にならなければ、と思わされた夜であった。

2009年3月14日土曜日

シンポジウム アジアを変革する社会情報基盤 バングラデシュの挑戦

090220

今日は大学でバングラデシュを特集にしたシンポジウムが開催された。

アジアを変革する社会情報基盤 バングラデシュの挑戦
http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/~ppca/sm090220/index.html

今回のシンポジウムを実質主催している、大学教員兼グラミン銀行系列(グラミンコミュニケーション)社員のアシル・アハメッド氏には、9月にバングラデシュを訪れた際に大変お世話になっている。家に泊めてもらい、グラミン銀行、農村部(アクラスプール)の案内を手配してもらうなど、至れり尽くせりだった。インド・バングラの旅はまだウェブ上にログを上げてなかったので、近いうちに書くことにしよう。

さて、本題に戻す。バングラデシュはアジア最貧国と言われており、外務省によると一人当たりGDPが487ドル(2006年度)、日本の4割程度の土地面積に1億4千万人が住む南アジアの国である。最近はNEXT 11という新興国グループに入れられ、少しずつ注目され始めているものの、水道・電気や交通などのインフラ、病院・教育などのサービスなど、まだまだ多くの問題を抱えている。
首都ダッカは何かの調査で、世界で最も汚染された街と言われたこともあるが、路上の排水溝から出る水で体を洗っている人を見たときはさすがに驚いた。お隣のインドと違い、牛のフンが落ちていないため視覚的には割ときれいに見えるが。

今でも1日1ドル以下で生活するBOP(Bottom of Pyramid:底辺層)の人々がたくさん住んでおり、貧困に喘いでいる。グラミン銀行創始者のモハメド・ユヌス氏は「貧困のない世界を創る」といってマイクロ・クレジット(貧困層向け融資)を初め、“途上国発の新しいビジネス”、“貧困層をターゲットにして成功を収めたビジネス”と、現在世界中の注目を集めている。
現在は事業を多角化し、銀行業以外でも、貧困層の人々の生活を向上させるビジネスを行っている。それが今回のテーマである社会情報基盤=ITの事業だ。

“通常の”歴史を見てみると、水道や交通、電気などのインフラが整ってきた上で電話線が引かれ、インターネットが使用できるようになってくる。しかし、バングラデシュでは水道すら通っていない農村でもウェブに繋がることが出来るなどと、順番が逆になっているケースが稀ではない。
彼らはインターネットを通じて出稼ぎの仕事を探したり、農作物の市場を見て高く売れるところに出荷したりしている。インターネットなんてある程度の所得がない人には、使用できてもコストがかかるだけだと思っていたのだが、行動する前に情報が得られることで、時間的・費用的コストが大幅に削減でき、人々の生活水準の向上に大いに役立っている。

また、電話線を引くとコストがかかると、各拠点から無線を飛ばして利用に当たっている。農村の人々は、ガス・水道などの支払いや送金などをケータイで済ませる。こういったはサービスは、日本でもあまり普及していない。バングラで普及しているのは、これ以外に方法がないという事情もあるが、先進国と違い既存のインフラや制度がないため、そういったものから受ける制約を考えずに、新しい技術を自由に組み込むことが出来るのだ。
そのため、バングラデシュなどの新興国はこれまで先進国が通ってきた道を辿るのではなく、いきなり新しいサービス、技術、制度を生み出しうる存在であると言える。

1億4千万の潜在的な巨大市場を持ち、貧困層ビジネスという社会的意義を感じられ、さらに最先端の技術を制約無しで自由に使える。
やりようによってはそうとうクレイジーで、クールで、刺激的な国だろう。あなたも一度、バングラデシュに赴くことを検討されてはいかがだろうか。

2009年2月21日土曜日

勉強会(MYshelf)08年度締めの飲み会

090219

夜から勉強会(MYshelf)メンバーと08年度の締めの飲み会があった。

ゲストとしてデザイン戦略系のA氏や今年のQREP(シリコンバレーでの起業家精神養成プログラム)に参加するB氏、環境系サークルのC氏などにもお越しいただき、大変愉快な飲み会となった。

いろいろ楽しくお話したが、特に印象に残ったのはD氏のユーラシア大陸横断の話。以前も聞いたのだが、何度聞いてもすごい話である。中国西チベットでは遭難した挙句野犬に襲われ、インドではスリに会って一文無しになり、パキスタンでは鈍器で殴られ身ぐるみをはがされている。私もいずれユーラシア大陸を横断しようと思っているが、このような旅は正直ごめん被りたい。
インドとパキスタンで2度、現地の人にお金を借りて日本までのチケットを買っているが、そのお金をわざわざ返しに戻っているなど、律儀なところが格好いい。また本人は「帰りのチケット買ってないなんて、計画性がないだけだよ」と言っていたが、そんな状況でカシミールなどの危険地域に足を踏み込む勇気はすごい。

真似する必要などないのだが、直接話を聞くと、これは真似できない、やっぱりすごいな、と思った。私も他人からそのように言われる経験の一つや二つ、欲しいものだ。

愛国心とナショナリズム

090218

昼からは友人Aとの食事があった。

彼は12月ごろから企業取材サークル(勉強会の色合いが強い)で活動していて、最近は歴史や古典、日本の偉人達に非常に興味があるようだ。曰く、日本には、渋沢栄一や東郷平八郎などの尊敬すべき人物がたくさんいる。日本人は歴史を学び、自国に誇りを持つべきだと主張する。
私も日本が好きだし、その意見には同意するのだが、日本の歴史については近隣諸国との微妙があり、難しい。歴史を学ぶ意義については別エントリーで書くとして、今回は愛国心とナショナリズムについて少しだけ述べる。

個人的に、愛国心は非常に大切なものだと思う。その理由は、
①利己的にならず、少なくとも自国の国家という公共の利益を考えることが出来るようになる
②自分だけでなく、国家のためを思うことでモチベーションの向上に繋がる
③自分のバックグラウンドに誇りを持つことで、相手の国も正当に評価できるようになる
である。

第二次大戦の影響などにより、近年は愛国心を持ちにくくなった反面、個人主義が台頭している。個人主義も結構なのだが、自分の事にしか興味を示さない狭い人も増えているのではないかと懸念する。愛国心があると、少なくとも自国の福祉については興味の対象になってくるので、自分にしか興味のない人に比べて公共のために行動する可能性は高くなる。

また、最近はBRICsなど、新興国の発展が目覚しい。彼らのハングリー精神にはすさまじいものがあり、既に豊かになってしまった私達日本人はハングリーさでは決して勝てない。私達のような先進国の者にとってモチベーションを与えうるのは、ざっくり分けると興味(楽しさ)とプライドだと思う。愛国心はそのプライドを刺激してくれる。私達のハングリー精神が、新興国の猛烈な上昇志向に敵わなくても、プライドや自国に対する誇りによってそれを補強できると考える。

しかし、愛国心は時に偏狭になり、第二次大戦時のナチス、大日本帝国のようになりかねない。様々な要因が絡んでくるため、この2つを必ずしも悪いとは断言しないが、この偏狭なナショナリズムは他国に害を与え、巡りめぐって自国にも弊害をもたらす。何より、21世紀となった今、この時代に合わなくなってきており、そのような偏狭な考えの持ち主は国際社会から干されてしまうだろう。

愛国心を持つ際には、必ず相手国の理解、尊敬が必要である。そうすることで、他国からも尊敬されるようにもなるし、また他国に対しても公共の精神が目覚め、より広い視野を持つことが可能となるだろう。

世界のマーケットは広がっており、もはや1億2千万の自国だけを見つめる狭い視野ではこの先やっていけない。その意味でも、日本人がこの先も国際競争力を持ち、新興国に対抗していく上で必要なのは、偏狭ではない愛国心だと思う。

後輩との会話

090217

今日は半年お世話になった学術研究員のA氏の送別会が研究室にてあった。同じく学術研究員のB氏によって自慢の中華料理9品が振舞われ、20名超の人が集まって、非常に愉快な会であった。

その会では何を話したか、もう覚えていない。終了後、私と同輩、3人の後輩が部屋に残って話をした。
話題は自然と、3年生がこの時期最も気になる就職活動になった。行きたいところは皆業種も業界も別々だったが、全員に共通して「いずれ農業に携わりたい」と言ったのには驚いた。というのも、私達のような農学部の学生は農業関連産業以外の職に就く者も多く、私や友人などは特に農業へのこだわりはないからだ。農家の平均年齢が約60歳、就農人口は一桁と、若者の農業離れが進んでいる中で、この様な人達が身近にいるのは面白い。農学部だから本来当然なのかもしれないが、学部時代の研究対象あるいは訓練としかみなしていない人も結構いる。

その後農業の話題になり、その他の社会問題に移り、約4時間に渡って議論した。このように議論するのは結構珍しく、後輩はこのような議論の場がもっと欲しいと言っていた。時間ならたっぷりある私達は、場所と議題さえ用意すればいつでもできるが、残念ながらあまり議論をする風潮というのはない。議論など強制されてするものではないが、大学側はこれに問題意識を持って、もっと議論を促すような策をとったほうがよいのかもしれない。

ともあれ、非常に楽しい時間が過ごせた。同輩Cの地に足ついた意見も参考になったし、後輩Dの、大好きなリゾートホテルについての話も面白かった。議論の切り口を整理することはまだまだ出来ていないと感じるが、いろいろな人の、自分とは違った視点からの意見を聞けるのは楽しい。